昨日の今日

ごめんなさい、と先に書いてみる

軍歴のその先

母方の大叔父はルソン島で戦死しています。
命日は8月6日、お墓にもそう刻まれています。
それ位しか知らないままで、それは多分、親戚のみんなもそうだったと思います。

特攻兵器「回天」を学ぶようになって
自分の身内のことも知るべきだと感じ、大叔父の軍歴を宮城県から送ってもらいました。
そのおかげで大叔父がどこの部隊にいて、どういう経路でルソン島に渡ったのかがわかりました。死因は「貫通銃創」となっていました。

大叔父は陸軍のレ艇の基地隊員だったようです。ネットで古書を探すと、関係者の方々が記念誌的な本を自費出版されていて早速購入してみました。届くとA4サイズでカラー表紙のついた立派な本でした。
復員されたかたの手記や、当時の名簿など、とてもしっかりした内容の本で、部隊ごとの行動経緯も詳しく記載されています。
その中の一文に大叔父の名前を見つけました。
大叔父は上官や数十人の同胞とともに東海岸に移動し、その内に衰弱して亡くなったそうです。死亡したのは8月31日。終戦から半月経ってからの死です。
その本によると一緒に移動した面々が終戦を知らされたのは9月上旬だったとのこと。大叔父の上官は塩を作ったり野生の豚を捕獲したり、当時の偉い人にしては柔軟なタイプだったみたいです。大叔父は亡くなりましたが、面白い上官と行動をともにすることが出来て、それはちょっと稀有なパターンなのかなと考えたりもします。

戦死公報が8月6日貫通銃創となっていたのは、もしかしたら上官の温情なのかなとも思うのです。
名誉の戦死、的な。

軍歴のその先に、知らされていない事実がある。真実は手をのばさなければ届かないまま、時間の向こうに隠されてしまうこともある。
そんな風に思う今日この頃です。