昨日の今日

ごめんなさい、と先に書いてみる

100年前の今頃

鬼滅の刃の連載は2016年の2月15日号から始まりました。デビュー時から鬼殺のアイデアはあっても、連載にいたる鬼滅の刃の構想は前年から練られていたものと思います。
2015年。その100年前は大正4年。
私の想像では、鬼滅の刃は大正3年から5年にかけての出来事なのでは?と考えているので大正4年は、つまり作品のちょうど半ばに当たります。
人によると思いますが、私は小説やマンガをかく時、ざっとした年表を作ります。戦前・戦中を舞台にすることも多いので、大きく外れると現実味が薄れて浅くなるように感じるからです。
鬼滅の刃は大正時代。あまり深掘りされてこなかった15年間ですが、後半には関東大震災等の大きな波乱を含む時代でもあります。そこに物語を展開するに当たり、丁寧で緻密かつ真面目な吾峠先生が、ぶっつけで描いたとは思えません。
なので100年前の今、を思い浮かべて作品を肉付けされたのではないかな、と思うのです。
鬼との闘いが終わり、平和な時代になった大正5年から100年後が2016年。鬼滅の刃の連載がスタートした年です。
つまり吾峠先生の頭の中の年表は、連載開始時に全てしっかり埋められていたのではないかと思うのです。私が羨ましく思う先生の才能のひとつです。
ゴールを見据えて只管誠実に物語を綴る吾峠先生は、私にとっての正に縁壱です。

100年前の今日も、100年後の今日も、人の営みにかわりはありません。笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだり、美味しいもの、欲しいものへ執着したり、どこかへ出掛けたり、楽しいことが大好きで苦手なことからは逃げてみたり、誰かを好きになったり嫌ってみたり、100年前の写真は白黒ですが、その時生きていた人たちには現実はいつでもフルカラーです。

吾峠先生のおかげで私たちの100年の時間は易々と埋められ、炭次郎たちの生きた世界はとても身近に結ばれました。この世界は炭次郎たちの玄孫が暮らす時代。大事に紡がれてきた命です。そして私たちも同様に大事に紡がれてきた命の先端に生きています。

年の暮れに思います。
大切に生きなくては、と。
紡いで繋いでもらった命を大事にしなくては、と。

…すみません…真面目か!
鬼滅の刃に出会えて本当に良かったです🙌