昨日の今日

ごめんなさい、と先に書いてみる

10年という日々

3月11日。10年目の今日が巡ってきました。
あの年は雪が少なくて、国道も路面が出て乾いていたことを覚えています。晴れていたけれど空気は冷たかった。気付くと戸棚のガラスがカタカタと小さく鳴っていて、その内に地震速報が入りテレビの画面が一斉に緊急報道番組に切り替わりました。数分の間をおく度に、発表された震度が上書きされていきマグニチュード津波の高さ予報も数値が上がっていく。3時をまわっても戸棚のガラスはまだカタカタと鳴り続け、揺れの長さに不安を覚えました。

両親は宮城と岩手の内陸出身です。電話が繫がるまでに1週間かかったり、家の中の片付けが大変だったり、仙台に住む親戚はマンションの立ち退きを余儀なくされたり。停電や断水など半月近く難儀したようですが、それでもケガ人が出なかったのは幸いでした。
数年たって知らされたのですが…津波で家を失った遠い親戚が、避難所の閉鎖後、連絡が取れなくなったそうです…こちらからはもう探しようがないらしく、向こうから訪ねてくれるのを待つしかないのですが、今頃どこで暮らしているのかな、と何も出来なかった寂しさが胸を塞ぎます。

あの日の前と後。震災前と震災後。遠地に住む私であっても物の見方を考えざるを得なくなりました。あの日以降、私は「元通り」という概念を見失ったまま日々を生きています。

被災されたかたの10年という日々。
亡くなられた大切な人が安らかであれと祈る心、そして亡くなられた人は生きている人の幸せを、きっと願ってくれていると思います。