昨日の今日

ごめんなさい、と先に書いてみる

今日みた夢…不死川実弥さん

今日みた夢の内容を、忘れないうちに…

鬼滅の刃の風柱・不死川実弥さんの、その後を、夢で勝手に作り上げた(妄想した?)みたいです。

鬼殺隊が解散してからのこと。
お館様から多分の金を贈られ固辞したが、ならば命を落とした隊士の身寄りや関わりのあった者に使って欲しい、と諭されその金を預かる。2年ほどかけて所縁の地を訪ね総ての弔いを終えた後、実弥は北海道を新天地と定めて歩き出す。
道中、乗物酔いが酷いので歩いて故郷の北海道へ向かう女性を助け、旅の道連れとなる。女性の父親は小樽の山で営林を行う親方で、実弥は大いに気に入られ、請われて娘と祝言をあげる。朝里川の奥で営林をしながら、実弥は時に大工仕事の手伝いをしたり漁場の助っ人にも出掛けた。冬場、大きな羆が出て討伐隊も日数がかかると苦慮していた中、実弥は一人で山に入り、あっという間に倒して新聞に写真入りで載ったこともある。
実弥は小柄な妻に手も触れなかった。妻はそれでも献身的に実弥に尽くした。行冥が命を終えたのは27歳、実弥は自身が27歳を迎えた年、初めて妻と結ばれた。程なく長女、次女が生まれ、31歳の頃、末っ子に男児を授かる。実弥はその子に玄弥と名付けた。
玄弥は小樽の中学に在学中、予科練に進みたいと言い出す。実弥は何も言わなかったが、妻や娘がかげで泣いているのを知り「物の為に命をかける闘いはするな」と息子に諭した。
娘はそれぞれ旭川小樽市内に嫁ぎ、玄弥は札幌で就職して家庭を持った。
後年には炭治郎カナヲ夫妻、善逸禰豆子夫妻がともに訪ねて来ており、実弥は定山渓や洞爺湖等を車を借りて案内してまわった。その折、妻は乗物酔いが酷いため留守番をしていた。
晩年は朝里川の奥にある家を引き払い、妻と小樽市内に部屋を借りて閑かに暮らした。
鬼殺隊の柱だったことは終生、舅以外には話さなかった。

という、一続きの夢でした。
人生を垣間見るような夢でした。

自身の人生さえままならない私が、何の夢をみているのか?と自分に仄暗い謎を感じました…